12年3月前半 逗子通信








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RACING VIEWS

3月1日(木)
状況。なぜかNHK放送センター。取材に備えて、アーカイブでとある映像を眺めろと言う指令。こんなに簡単にアーカイブを利用できるとは思わなかったな。

ちょうど、サンクで打ち合わせしていたI氏と時間が合い、渋谷で合流。「山形」で打ち合わせしながら飲み始めたら終わらなくなった。「凛」まで続いて、終電で帰宅。

3月2日(金)

朝、突然先輩T氏から電話。話がしたいというのでお迎えして話。みなさん、あれこれ厳しいのだなあ。

午後から埼玉の実家へ。ケアマネージャーを交えてあれこれ相談。思ったより順調に話が進んだ。よし、新しい方向へものごとが動き始めた。

3月3日(土)
鈴鹿行きを延期して、朝から近所の介護付き老人ホーム見学。我が家からクルマで3分の好ロケーションだがあいにく満床。相談して、待機申し込みをするとともに、次に近い横須賀の衣笠の施設見学へ。ここもクルマなら20分かからない場所。

そのまま新横浜までクルマで送ってもらい、鈴鹿へ向かう。夕方サーキット着。何人か人に会うだけで終わり。Aセンセイ、Mカメラマンの車に便乗してホテルへ戻ろうとすると渋滞で動きが取れず、びっくり仰天。

お二人のホテルにチェックインして、焼肉を食べに行く。その後わたしのホテルにチェックインして白子駅前で一杯飲んで別れた。

3月4日(日)
朝、タクシーでサーキット入り。雨降りなのでただでさえ動きが鈍いのに,そのほかにやらなければならないことがあって、デスク張り付き。

雨降りにつき、同僚I氏の車でホテルへ戻り、「和食さと」で夕食を済ます。日曜日はお店もお休みが多いし。

3月5日(月)
同僚I氏の車でサーキット出勤。雨降りで物事が進まず。何しに来たんだか。結局仕事が溜まりすぎ、わたしは予定を1日早めて帰宅することに。カメラマンG氏のクルマで夕方白子の駅前まで送ってもらい、帰路についた。なんだか身体が重く、風邪を引いた予感。

3月6日(火)
ぐっすり眠ったら生き返った。こつこつ仕事。

3月7日(水)
午後、上京。飛鳥山へ出向き,東大名誉教授のお話を伺う。これがおもしろい。原稿書かないで済むならこんなに楽しい仕事はないなあ。

3月8日(木)
こつこつ仕事。

3月9日(金)
夕方、呼び出しがあって渋谷へ出かける。K氏、K氏夫人、若きレーシングドライバーにA氏を加えての会。途中、M氏も合流。結論は「これからは仕事を待っていてはいけない時代で、自分で仕事を作る時代」というところでまとまった。2次会は遠慮してA氏と早めに帰宅、したつもりが結局乗れたのは終電だった。

3月10日(土)
こつこつ仕事。夕方、F氏が来逗子、打ち合わせ。まずは「ENISHI」へ。人気のようで8時までの席。そこから市役所前へ移動して、「亀屋」。話が弾んで少々呑み過ぎた。

3月11日(日)
こつこつ仕事。あの大災害から1周年。「忘れてはいけない」の大合唱ではあるが、わたしは少なくとも「思い出したくない」。物理的に国家が壊れていく様を眺める、あの怖さは,もう味わいたくない。政治的に壊れていくのを眺めるのはもう慣れっこになっているんだけどね。

3月12日(月)
とりあえず仕事。

3月13日(火)
朝、ひなたを動物病院へ連れて行く。どうも痩せてきてしかも元気が出て食欲が増したので、女房が甲状腺障害を疑った。で診察してもらうとやはりそのようだ。薬をもらって帰ってきた。

3月14日(水)
15時にサンク。レーシングニュースフォーミュラパイロット版の校正、校了。久しぶりにこんな作業したな。終わりは10時すぎ。夕食を撮る時間もないのでまっすぐ帰宅。武蔵溝ノ口周りのお店探訪はまたの機会に。

3月15日(木)
朝一で横須賀の法務局へ出向き、会社の登記簿謄本をとる。その後逗子へ戻り、会社の新口座開設手続き。1日仕事を覚悟していたが半日で終わったので,女房と海岸沿いの「くら」へ行き、ランチ。動物病院から電話があり、血液検査の結果からひなたに「甲状腺機能亢進症」の診断が正式に下った。薬飲んで暮らそうね。