12年3月後半 逗子通信








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RACING VIEWS

3月16日(金)
こつこつ仕事。

3月17日(土)

こつこつ仕事。

3月18日(日)
おつこつ仕事。

3月19日(月)
レーシングニュースフォーミュラ用銀行口座開設の手続きのため逗子駅前の銀行へ。

本日締め切りの大量原稿があって,必死。あれこれ制約が多い仕事ではあったが、自分としてはなんとか納得のいく内容で締め切りに間に合った。

3月20日(火)
富士スピードウェイへ向かう。フォーミュラ・ニッポン合同テスト取材。夜はお約束の「新五月」。鶏の半身揚げ。母親の入居先について、我が家最寄りの施設に空室ができたとのありがたい報せ。

3月21日(水)
富士スピードウェイにて1日、みっちり仕事。

3月22日(木)
23日だと思い込んで早朝から慌てて仕事をしていたが、1日間違っていることに気づいて、病院へ薬をもらいに出かけることにした。もう頭がいろいろなことでいっぱいだ。

夕方、サンクへ出向き、打ち合わせ。溝の口あたりで一杯飲みたい気分ではあったが、到底そんな時間はなくて、クルマでさっさと往復。

夕方、元レーシングニュース社長H氏から電話。激励を受けて嬉しかった。その後、ネット上で株式会社ルマンの花輪知夫氏死去の報を偶然見る。関係者に確認の電話。いろいろ話を聞かなければならなかったのだが、残念なことになった。その後、また嬉しい内容の電話をいただく。人生いろいろだ。

3月23日(金)
こつこつ仕事。

3月24日(土)
午後から、東逗子の施設からケアマネージャーが実家の母親と話をしに行くというのでこちらも出かけて実家で打ち合わせ。その後母と女房と3人で回転寿司へ。いろいろ事態が進んできた。父親の墓参り。命日には1日早かった。

白岡の駅に女房を落とし、わたしはそのまま宇都宮へ向かう。上三川インターのそばに3500円なりの安ホテルを見つけてあったのでチェックイン……しようとしたら、なんと仕事道具一式を入れたバッグが見当たらない。家に積み忘れたのだ。パソコンはもちろん取材パスまで入ったお仕事セットだ。頭がぐるぐるするがとりあえずチェックインして部屋に入った。

誤魔化すことは可能だろう。だが今は大事な仕事に取り組もうとしているところだ。これはやはり取りに戻らなければ鳴るまい。一旦帰ったらここへ戻るより朝、家を出た方が時間を節約できる。というわけでチェックイン30分でチェックアウト。宿のご主人はわたしの事態を気の毒がって、1000円返金してくれた(笑)。9時すぎには逗子の家に戻り、夕食を食べて寝た。

3月25日(日)
4時10分に起きて、ツインリンクもてぎへ向かう。スーパーFJ、F4の取材。これまではわざわざ足を運ぶことをしなかったレースだ。新しい仕事をするに当たって、世界を広げておかなければならない。たどりついたら朝方雪が降ったとかでうっすら景色が白かった。

いろいろな人に会って挨拶&取材。

3月26日(月)
青山葬儀所で花輪知夫告別式。その後、ネクタイだけ換えてフォーミュラ・ニッポン開幕発表会へ。逗子で女房と合流、母親入所予定の施設で打ち合わせ。夜半、RACING NEWS formula の販売ページを開設、購読申し込み受付を開始した。いよいよだ。

3月27日(火)
夕方4時、イデアへ出向いてM氏に挨拶&相談。これでスジは通せただろうと勝手に納得する。

3月28日(水)
朝一番で病院へ。十何年もわたしにつきあってくれ、肝臓を治してくれた主治医が転院するという。紹介状を書いてもらい、新しい病院へわたしも転院することにした。でも紹介状?自分宛の紹介状だよねえ。奇怪な世界だよなあ。

帰路、バス停から我が家まで少し遠回りをして山歩き。裏山から我が家へ下りた。

3月29日(木)
こつこつ仕事。

3月30日(金)
朝一番で女房に羽田空港へ送ってもらい、岡山へ。
空港でAS編集長T氏と合流、岡山からはT氏運転のレンタカー。
よくよく考えたらこんなに早く岡山入りする必要はなかったのかい?
泊まりは相生。相生駅前には何もないね。

3月31日(土)
1日現場仕事。夜遅くまでガンバで頑張る編集部員を置いて、T編集長と相生に戻り、駅前居酒屋で一杯やりながら雑談。