創刊準備号 『個人WEBサイト立ち上げについて』
 実は、個人のWEBサイトを制作するのはこれが初めてではない。1996年、コンピュータ関連の単行本を執筆するにあたってインターネット全般を勉強するために、サイトを別サーバーに作ってみたのである。だが当時はHTML編集ソフトの機能が低く、結局はHTMLから学んで自分でソースを書かざるをえず、かつてプログラミングを本業としていたくせに、あまりの煩雑さに制作途中で嫌気がさした。いくつかページを作ってはみたものの、中途半端なまま制作を中断、自分の中の勉強はとりあえずできたしと、更新もしないままサーバー上に放置することになった。

 特に公開をしたつもりもなかったのだが、そのサーバーのサービスでいわゆる個人サイト一覧には自動的に表示され、一部検索エンジンにもひっかかったため、一時はもの好きな方がかなりの人数アクセスしてくれたようだ。実際、サイトを立ち上げたことはわたしの口からは誰にも知らせなかったにもかかわらず、友人知人が「ホームページ見たよ」と連絡をくれたりもした。今更ながらあんな掘っ建て小屋が朽ち果てたようなサイトにアクセスさせて、申し訳ないとお詫びする。と言う当人は、その後個人WEBサイトに興味も必要も感じなくなり、閉じることさえも面倒になって結局はあばら屋の放置をつい先日まで続けてきた。

 だが、ここへきてHTML編集ソフトが進化し、さらにインターネットの普及により明らかに世の中の情報の流れ方が変化し始めて、まがりなりにもマスコミに関わる人間として時流を把握しておきたいという欲求も感じるようになってきた。特に、情報の流れ方の変化は、今のわたしにとって大きな興味の対象である。同業者の多くはインターネットを「ラジオやテレビと同種の新しいメディアであって、ラジオもテレビも印刷メディアを結局は駆逐しなかったように、インターネットも印刷メディアと共存していくだろう」と楽観視している。だが、インターネットをテレビやラジオと同類と考えては痛い目にあいそうだ、と最近のわたしは感じている。

 80年代半ばから広まったパソコン通信は、「双方向性を持つメディア」として注目を浴びた。私自身、エンジニアのはしくれとして、パソコン通信には初期から注目し自分で通信ソフトを書いて、まだ実験運用段階だったアスキーネットなどに接続、勉強したりその後サービスの始まったニフティを仕事で利用したりしてきた。そもそもライター商売のきっかけはパソコン通信を通して知り合った友人知人が作ってくれたもので、わたしはパソコン通信で仕事を得、成り立たせてきた人間である。だが、パソコン通信は本来の双方向性を見失い、結局は旧来の情報提供型メディアになりたがって壁にぶつかってしまった。その様を眺めつつ、わたしはパソコン通信をツールとしては活用しながら、本来の双方向メディアとしては見限った。

 ところがインターネットは、明らかに強い双方向性を維持しているしますますその特性を強めようとしている。もっとも、メディアの双方向性は、聞こえは良いけれども実はこれまでの情報伝達が維持してきた秩序を破壊しかねないという意味で非常に危険なものでもある。なにしろこれまでは情報発信側がとりあえずは「メディアの良識」(もちろんそれが真の良識かどうかは話は別だが)をもって情報の選別ができたが、インターネットというツールを得た受け手は、個々の思いのまま自由に、敢えて言うならば無責任な情報バラまきが可能になるのだ。当然ながら世の中に流通する情報は激増しその質も千差万別となる。情報の受け手は、これまでよりはるかに厳重な情報ファイアウォールを自分の中に設け、自分の中で情報の取捨選択を強いられるようになる。インターネットは、情報の意味を変えうるツールなのだ。

 もちろん、そうした状況が見えないまま、新しい情報提供型メディアとしてインターネットをとらえている人々も多い。税金の無駄遣いどころか国辱ものの勘違いを露呈してしまった「インターネット博覧会」などはその典型だ。インターネットが単なる「新型情報提供メディア」であるならば、わたしは特につきつめて関わろうとは思わない。わたしはそこに横たわる巨大な危険性も含めて、インターネット(あるいはそれの発展形)の未来に強い興味をおぼえるのだ。個人WEBサイトの再立ち上げは、その可能性検証作業の一環であるつもりだ。もちろん、大上段に振りかぶったその背後には、息抜きのひとつだったり老化防止策のひとつだったりという、ごくありきたりの動機も確実にある。

 とかなんとか、個人WEBサイト再立ち上げの理由付けを一所懸命しつつ、コンテンツをコツコツチマチマと積み重ねながら、いまだにわたしは、「今度は公開するか」「BBSも併設するか」などと、思い悩んでいたりもする。まあ、とりあえず納得のいくところまで制作はしてみよう。何しろソフトウェアが高機能になったもので、前回の制作に比較して労力ははるかに少なくて済む。果たしてここに積み重ねたコンテンツが不特定多数の方の目に触れる日がくるのかどうか。

 それはともかく、とりあえず「週刊大串」では、ふだんは自動車レースに関する原稿ばかり書いている自分の気分転換と脳味噌のリハビリテーションのために、通常は発表の機会のない思いを綴ってみるつもりでいる。年齢と共に、脳の働きがどんどん鈍くなりかつ疲労の回復が遅れているのを痛切に感じる。インターネットが情報の流れ方を変えてしまうことなどより、実はそちらの方がはるかに深刻な問題なのかもしれないし。