2月27日号 『何発目で撃たれるか』

 この地球上に住んでいる人間に1丁ずつ拳銃を持たせ、まずは1発だけ弾丸を渡して「誰でもいいからひとりだけ撃ち殺して良い」という法律を作る。そして狙いを定め号令と共に一斉にみんなで引き金を引いたとする。さて果たして自分に弾丸は飛んでくるかどうか。

 わたしは、多分まず一部の人間に弾丸は集中して、おそらくわたしに向けて飛んでくる弾丸はあるまいと思う。そう信じたいと言う方が正確かも知れないけれども、ひょっとしたら「何言ってやがる、1発目からオマエに向けて撃つよ」と冷ややかに考えている人間がいるかもなあ、とも思う。

 この広い世界の中には、「そんなことやったらオレ、間違いなく1発目から撃たれるな〜」と思う人間もいるんだろう。政治的立場にある人間、社会的な影響の大きい著名人、思想的リーダーなどは、当然ながら敵も多い。もちろん、経済的な活動の結果、敵を作る人間もいる。痴情のもつれや怨恨から1発目の弾丸を受ける人間もいるんだろう。わたしも決して清廉潔白な人間ではないし数々の火の粉もくぐってきた。まがりなりにもマスコミと言われる場の隅っこに名前を出したりもしている。しかしぶんなぐられることはあっても弾丸は飛んでこないんじゃないか。

 では、弾丸を2発に増やしたらどうなるか。それでも無事なら3発渡したらどうなるか。こうやって供給する弾丸の数を増やしていけば、さすがにいつかは自分に向けて弾丸が飛んでくることになるわけだが、ではそれは果たして何発目のことか。その原因は一体何か。

 わたしの場合、20発目あたりから自信がなくなるんだなあ。いや、20発目まではもたないかもしれないなあ。もし20発の弾がたまたま(シャレではない)重複することなく1発1人の心臓に命中したとすると、20発打ち終わったときには、約1億3千万人いるはずの日本国民は1048576分の1、つまり12万4千人ほどに減っているわけだ。そこに残れるものかなあ。もしそれまでに弾が自分の心臓に向けて飛んできたとして、そのときの原因は、あれか? それともこれか? そういやあんなこともしてきたな、こんなこともしてきたな。まてよ、そりゃ自意識過剰というやつか? 20発撃っても弾丸は飛んでこなくて、かえって自分の存在の薄さに慌てたりするんじゃないか? 

 とかなんとか、ときどきつまらないことを夢想したりする。酒の席で同席した友人知人に「あなたは何発目に弾丸を受けると思う? 誰に撃たれると思う? で、そのときの理由は?」と問いかけて、悪酔いさせる悪癖もある。でも、一度ぼんやりと思いを巡らしてみるといい。これまで生きてきた日々を自ら省みるには、かなり悪趣味だけれどもかなり有効な方法だと思っている。