11月26日号 『恥ずかしさを噛みしめて』

その昔、あるコンピュータ雑誌に連載を持っていた。関連企業をたずね、担当者に製品の開発やら今後の展開やらに関わる取材をしてまとめるページだった。その取材で、とあるシンサイザーメーカーに行った。当時、そのメーカーはパソコン用の製品を出したところで、わたし自身非常に興味がある製品だったので、取材は非常におもしろかった。取材後わたしは、「これ、買いますよ!」と宣言して帰ってきたものだ。

たまたま1年近く経った後で、再びそのメーカーが新製品を出し、たまたま同じ開発担当者から話を聞くことになった。その席で1年前の取材の話になり、わたしは「そういえば1年前、買いますと宣言したものの、結局迷って買っていないな」と思い出した。そこで、半ばお詫びをするつもりで、「そういえば1年前に出たあの製品、まだ買っていないんですよ」と言った。その瞬間、開発担当者と立ち会っていた広報担当者の顔色が微妙に変わった。

わたしは咄嗟に事態が理解できずに「何かおかしなことを言ったかな」と心の中で慌てた。が、その後の会話は特に問題もないまま続いたので、わたしは取材に戻り、一瞬生じた奇妙な空気をすっかり忘れてしまった。そして帰る道々、ようやく「あ」と気づいたのだった。つまり、開発担当者と広報担当者はわたしがその製品をくれとねだった、と思い込んだのだ。それも1年越しで。そう考えれば奇妙な雰囲気も説明がつく。

真相はわからない。だが、おそらくそういうことだったのだろう。彼らは、取材に来た人間がわざわざ1年間も取材対象の商品を買おうか買うまいか迷い結局買わなかったことを、まさか何の下心もなく詫びるなどとは思わなかったに違いない。ただ、あまりにも相手の反応がストレートだったのは不可解だった。そうは思いたくはないが、ひょっとしたら少なくない数の取材者が、状況の違いこそあれ何らかのおねだりをしていて、先方も過敏になっているということかいな、と勘ぐったりもした。

他人のことはどうであれ、わたし自身はこのときのことを思い出すと、今でも恥ずかしくてかなわない。もしどうしてもおねだりしたくなったとしても、わたしならば遠回しに匂わすようなことはしないで正面から「これ、くれませんか」と頼むって。それもせいぜい宣材のレベルまでだ。それなのに安易にものをねだるヤツと思われたこと、それも、それとなく匂わすような姑息な手法を使うヤツだと思われたとしたら、これは男子一生の不覚である。

恥ずかしくて思い出したくもない場面ではあるが、仕事の場では不用意な言動があっけなく誤解をまねくことを自分に戒めるには良い経験だったと、その恥ずかしさをじっくりかみしめることにはしている。