2月15日号 『学校、嫌い』
わたしは、学校が嫌いな子供だった。そしてその後は順調に学校が嫌いな大人に育った。以前たまたま中学校の同窓会に顔を出したとき(学校は嫌いでも友人が嫌いというわけではない)、かつての担任だった女性教師は、わたしが学校が嫌いだったと言うのを聞いて驚いた顔をしていた。「オオグシクンは、学校が大好きなんだと思っていた」と。それを聞いたこっちも驚いた。「あんなに学校が嫌いだったのに、それがわからなかったか」と。
わたしが学校嫌いになったきっかけがある。小学校1年生のときに行われた国語のテストだ。その中にある問題があった。そこには野球で野手が使うグラブの絵と、字を書き込むための四個の空欄が印刷されていた。問題は「これの名前をひらがなで書きなさい」である。わたしは迷うことなく「ぐろーぶ」と記入した。
ところが採点されて手元に戻った解答用紙を見たわたしは子供ながらに仰天した。わたしが書き込んだ「ぐろーぶ」の字の上に赤くバツがあったからだ。なぜだ、これはぐろーぶではないのか? わたしは慌てた。混乱もした。しかし結局、事態が飲み込めない。そこで恐る恐る担任教師に、なぜ誤りなのか、と尋ねてみた。すると教師は平然とこう言い放ったのだった。「答は、ぐろうぶだよ」
はあ? とわたしは思った。もちろん当時のわたしは6歳だかそこらの子供だ、大人に向かって実際に発音したわけではないが、気持ちはまさに顔を歪めて「はあ?」だった。そして今思い出しても「はあ?」と顔が歪む。
教師は、ひらがなに音引きは存在しないと説明した。確かめたことはないが、本当なのだろう。それに従えば、カタカナによる「グローブ」という表記は許されても、ひらがなによる「ぐろーぶ」は許されないことになる。ぐろーぶはぐろうぶ。すーぷはすうぷ。すきーはすきい。ねーちゃんはねえちゃん。くだらねーはくだらねえ。だからオマエの「ぐろーぶ」という解答は誤りだ、というわけだ。ああ、本当にくだらねー。
そもそも、外国からやってきた「glove」という名前の道具の絵を見せ、その名前を日本語のひらがなで表記させたうえ正誤を問うという神経はいかがなものか。「ぐらぁぶ」と書いたら正解だったのか?ぐろうぶとぐらぁぶが正解でぐろーぶが間違いか? まてよ、ひらがなには拗音もないのか? 知るか、そんなこと。 しかし当時の教師はよくもまあこんなくだらねー問題を教え子にぶつけ、よくもまあへーきで赤いバッテンを付けることができたもんだ。赤いバッテンは一体誰のどこに印されるべきだったんだか。
学校で教えるのはこうした出来の悪いクイズの問題とその解答なのだ。わたしは小学校1年生にしてそう悟った。そしてわたしがこの先受けることになる学校教育というものに絶望した。幸か不幸か、わたしはくだらねークイズが不得意ではなかったから、割り切っちゃった後は学校のお勉強でそこそこの成績を残しはしたが、それ以来常に学校が嫌いだったことに変わりはなかった。
わたしは2浪までして大学に入り5年も在籍したりした経歴の持ち主だけれども、これは他にやることが見つけられずに単に流れに乗っただけ、しかも薄っぺらい見栄があっただけの情けない話。第一志望の大学に入れなかったことを今でも残念に思うこともあるが、それはクイズ大会で他人に負けた悔しさにすぎない。したがって、学歴コンプレックスなども持ち合わせない。卒業した学校名を聞いて、ああクイズが得意なんだねと尊敬することはある。だが、いつまでもぐろうぶとか言ってやがれ、と思わせる輩にこれまでどれだけ会ってきたことか。
わたしは、入試の難しさがその学校に入学する人間の性能にとって必要十分条件ではないということをよく知っている。念のために言っておけば、優秀な人間は難関学校に入れるが、難関学校に入れた人間が優秀であるとは限らない、ということだ。間違いない。ただし、この大事な知識を、学校は教えてくれなかった。