F4騒動を考えつつ
実は
国と我が行方を憂うわたくし
逗子通信




WEB上で童夢の林みのる社長とAS−WEBの間に勃発した来季のF4をめぐる議論を観戦していたが、その噛み合わない戦いときたら、まるでお互いがせっかくの誘導ミサイルを、相手の本拠地がどこにあるのかを無視したまま打ち合っているような有様で、なんとも歯がゆかった。挙げ句の果てには外野ではジャーナリズム論まで話が広がってしまい、もうお腹一杯というのが正直な感想だ。敢えて戦況を評価するならば、物量と破壊力、着弾後の毒性の差はいかんともしがたかったなというところか。

だから間に割って入るというわけではないが、そもそもわたしはAS−WEBが林氏を挑発するようにして戦いが始まる前から来季のF4には着目していて、あれこれ自分なりの取材を重ね、頭をまとめる作業を進めつつあった。ところがあらぬタイミング、あらぬ場所で弾が飛び交い始めてしまったので身をかがめながら慌ててデスクに戻り掲載の見通しもないまま原稿を書き始めたところだ。

とはいえ、残念ながら原稿を書いたところで掲載の場はなさそうだ。この業界、メディアの数は限られているうえ、昨今の不景気でどの商業メディアも存続の危機に直面しており、特別に読者を集めたり広告出稿を促したりすることが期待できない地味な記事に、これから書き連ねる分量のスペースを割り当てることなど不可能だからだ。それは仕方がないとあきらめよう。

今後こういうことが増えると予想できるので、何らかの発表手段を考えなければなるまい。今回は実験としてWEBを使って無条件に発表することにしたが、わたしは売文業者であって、無料で情報を垂れ流していては生活ができない。もちろん金を取って提供するにはそれにふさわしい情報の質が問われることにもなるのが悩ましいところではある。と、さんざん余分な前置きが出来るのは、WEBの魅力ではある。

■F4とは何だったのか

そもそもF4とは何なのか。モーターレーシング後進国であった我が国でもフォーミュラカーレースの階層が成立し、1990年を前に、FJ1600とF3の間を埋める、いわゆるジュニアフォーミュラのカテゴリーが必要になった。かつてはフォーミュラ・フォード(FF)、F3、F2/F3000、F1というヒエラルキーが確立されていた欧米でも同じことだ。というよりも、欧米の動きが日本に波及したと言うべきだろう。

新しいカテゴリーを立ち上げるのは非常に労力のかかることである。そこへ参入したのが自動車メーカーである。90年、トヨタがフォーミュラ・トヨタ(FT)を、三菱自動車がフォーミュラ・ミラージュ(FM)を立ち上げ、FJ1600とF3の間を補完した。それだけなら有り難い話ではあるのだが、問題はそこで用いられた車体だった。

FTの場合、シリーズは90年から2007年まで続いたが、当初用いられたのは、アルゴとトムスGBが共同開発したアルミモノコックである。FMは90年から93年まで開催されたが、前期はバンディーメン、後期はレイナードが開発したアルミモノコックが用いられた。要するに、どちらも海外コンストラクターのシャシーを持ち込んだのだ。

結果的に国内コンストラクターは頭越しで取り残された形になった。F3へ進出するまでの若手ドライバーたち、すなわちユーザーは、それまで国内コンストラクターが製造するFJ1600が受け止めていたが、マーケットが拡大し顧客が分散してしまったからだ。そこで言葉は悪いが、割り込む形で強引に国内コンストラクターの車体によるジュニア・フォーミュラを開発、レースのシリーズを立ち上げそのクラスに参入し、自分たちの商品を販売するマーケットを自らの手で生み出した。これがF4(当初はFJJ)である。

■日本という国が潰れるぞ

同様のカテゴリーが林立してしまったのは、個人的には好ましいことではなかったとは思うが、ユーザーの立場からは、それぞれの環境に合わせて進路を選ぶための選択肢が増えるのだから良かったのだという見方もある。事情はともあれ国内コンストラクターが、自分たちの製品をともかくマーケットに送り出そうと動いたことは頼もしい限り、F4を立ち上げた当時の国内コンストラクターの意気やよし、とは言いたい。

今どきの若造にはこの気持ちは通じないのかもしれない。外国製品で用が足りるのだからそれで良いではないかという考え方は一見合理的ではあるが、技術がすでにそこにあるものと考えていれば、我が国の工業は早晩中国や台湾やインドや韓国に追い抜かれ、国家は衰退するだろう。(そんで、みんなで貧乏になるんだ)

我が国が享受してきた繁栄は、先進諸国に追いつき追い越そうという諸先輩方の技術に対する熱意と業績が作り上げたもので、我々はその遺産を食い潰しながら、のうのうと先進国の住民ヅラをして暮らしているだけに過ぎない。工業離れ、理科系離れが進むという現状は、国家的危機だと慌てるべきなのだ。

だからこそ、もちろんビジネスの場を作らねばならないという要求が先にあったとしても、わたしは個人的に、F4を立ち上げた国内コンストラクターの意地を嬉しく感じた。そして同じ意味で昨年末、日本自動車レース工業会(JMIA)が組織され、JMIA(標準)モノコックと呼ぶ低コストカーボンモノコックを新製法により開発し、まずはF20、その後は他のカテゴリーでの使用も視野に入れて普及させるとしたとき、国内レース工業、ひいては技術開発の行方に期待した。

話は変わるが、先日大阪万国博覧会の跡地である万博記念公園へ出向いて散歩した折、70年当時イギリスが出展した英国館に、イギリスの工業技術の象徴として、なんとコスワースDFVが展示されていたことを思い出した。JMIAが、レース工業をひとつの業界として成り立たせたいというのはこういうことなんだろうと思う。

■否定されたJMIAモノコック

F20用JMIAモノコックについては製造時に取材してAS誌でも紹介をした。今から思えば、この頃からAS誌はJMIAのF20構想にはなぜか批判的で、誌面は新技術に期待するわたしのレポートと、F20に懐疑的な論調のAS編集部執筆のカコミ記事が並ぶという奇怪な構成になったものだった。

このJMIAモノコックをF4に転用する、しないでJMIAが揺れた。当初JMIAがF20用として開発したカーボンモノコックは、コストを下げるためハニカム材をサンドイッチせずカーボンプリプレグを一体の型に積層して抜いたのみのソリッドカーボン構造である。このモノコックは、航空機技術を応用して製造されるもので、長所短所はあるにせよ、画期的なコスト性能比を実現している。その詳細レポートは当時のAS誌を参照願いたい。

だが、JMIAモノコックのF4転用は、なぜか強い反発を受けた。AS−WEBにおける「参加ドライバーはどうなるんだ論」はともかく、JMIAの理事であったWESTの神谷誠二郎社長がこの問題をめぐってJMIAを脱退したというのだから、事態は深刻だ。神谷氏は言うまでもなくF4というカテゴリーを生み育て、ここまで運営してきたF4の主のような人物で、JMIAでもきわめて重要な役割を果たすはずだったのだ。聞けば、JMIAがF4を標準モノコックのワンメイクにしようと動いたことが原因だという。

モノコックのカーボン化が実現した上、コスト(あくまでも新車レベルでの話だが)も下げられるのであれば、F4というカテゴリーには好都合だったはずではないのか? なぜJMIAモノコックによるワンメイク化が神谷氏、あるいはF4の現場に受け入れられなかったのか、わたしには理解できなかった。というわけで、10月初頭、無理を頼み込んでWESTへ押しかけF4事情についてレクチャーを受けた。

■F4が抱えた矛盾

元々、FJ1600とF3の間を埋めるカテゴリーとして生まれたF4は、現在は当初の狙いと少々異なるポジションにある。フォーミュラミラージュが開催を停止した後、99年にホンダが、同等ジュニア・フォーミュラであるフォーミュラドリーム(FD)を立ち上げ、トヨタとともに、メーカーによる人材育成を推進し始めたため、本気で上位カテゴリーへのステップアップを望むユーザーは、FT、FDへ流れ、F4からの客離れが起きたせいだと考えられる。F4も独自のスカラシップを設けてはいたが、メーカー支援のスカラシップとは比べようもない。

その結果F4の参加台数は大きく落ち込み、全国4シリーズ行われていた地方戦が関東及び関西の2シリーズに縮小もしている。しかし、ここ数年は、メーカー系ステップアップの経路が06年に始まったフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)に一本化されると共にステップアップの経路がメーカー関連外の選手に対して閉鎖的に見えるようになったこともあるのか、F4運営者側の努力も実って参加者数は盛り返しつつある。

だが、その背景は微妙だ。というのも、人気がなくなったため、新規車両の参入が停止し、数年落ちの車体で行う低コストレースとして、本来F4が掲げていたFJ1600とF3の間を埋めるステップアップカテゴリーという位置づけは後回しに、「それなりの性能を持つフォーミュラカーでレースができる手頃なカテゴリー」として評価を受け、ホビー派の参加者を集めた形跡があるからだ。「今、F4に参加している選手の中でF3へ上がりたいと現実問題としてとらえ、真剣に考えている選手は、ほとんどいないのが実情です」と、とあるF4協会関係者は言い切っている。

確かに、現在のF4は事実上の中古車レースで、ここ3年、F4の新車はほぼ売れていない。WESTは今年、4年ぶりに新車096を開発してはいるが、その他に新車は登場していないのだ。ユーザーと共にここまで歩んできた神谷氏はそうは言うまいが、わたしの口で勝手に言い換えれば、せっかくの新車が売れなかったからこそ、ユーザーが喜ぶ低コストでのF4レースが実現したのである。

この事態は、ホビーレースを指向するユーザーには(少なくともコスト的には)喜ばしい状況だろうが、F4を立ち上げた当の国内コンストラクターにとっては、痛し痒しである。売れるのが補修部品だけではコンストラクターとしてのビジネスは成り立たない。皮肉なことに、F4を立ち上げた国内コンストラクターは、新車を売りたくて仕方がないのに、ユーザーは買ってくれないという状況なのだから。

現在のF4を成り立たせているユーザーの意向を優先すれば、確かに高性能の新車が出てくることは、コスト上昇を招くので好ましくない。だが、それでは中古車が年々消耗していくだけの話で、いつかは中古F4マシンは消耗しきってカテゴリー自体が消滅するだろう。F4をもってガラパゴス島のようなカテゴリーとは良く言ったものだと思う。少なくともコンストラクター(のビジネス)にとって、今のままのF4ではカテゴリーの存在意義はないのである。

また、アルミ製のシャシーでは、上位カテゴリーへ進出するための練習にはならないという声もある。特にタイヤ性能が進歩してしまい、アルミモノコックとのバランスはここ数年で著しく悪化し、その操縦性はカーボンモノコックを持つマシンとはかけ離れたものになっているという。

こうした傾向が見えていたのか、99年から06年まで開催されたFDでは童夢製カーボンコンポジットのモノコックが用いられた。このモノコックは現在でも鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS−F)で用いられている。またFTも、前述したようにシャシーを02年、TRD製カーボンコンポジットモノコックに切り替えた。このモノコックも、FT終了後、フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール(FTRS)で使い続けられている。

ARTAは、02年関西シリーズの伊沢拓也、04年西日本シリーズの塚越広大、08年の野尻智紀など、フォーミュラ・ルノー、FD、FCJなど、ステップアップの筋道が確立しているカテゴリーに参戦するに当たって実戦トレーニングのために低コストのF4を用いてきた。しかし現在ではあまりにもアルミモノコックの性能レベルが低くなってバランスが崩れトレーニングにはならなくなってしまったので今後はF4参戦を取りやめるかもしれないという。上位カテゴリーへの人材養成を考えれば、アルミモノコックを使う時代は終わっており、アルミモノコックを用いた従来のF4は、上位カテゴリーへステップアップするためという本来の機能を果たすことはできなくなっていると言ってもよいだろう。

■今後のF4はどうなるのか

JAFによって車両規則が改正され、それを受ける形でJMIAがカーボンモノコックを持つニューマシンを戦線へ送り込む予定の来季、F4はよりステップアップ色の強い異なるカテゴリー、言い換えれば本来目指していた位置づけのカテゴリーに変化するだろう。その過程では、近年のF4をある意味支えてきたホビー派のユーザーの居場所はなくなってしまうかもしれない。だが、安価なホビーレースならば、現在のF4のように「中途半端に」資金が必要なカテゴリーではなく、もっと居心地の良いカテゴリーを立ち上げればよいのではないか。もちろん、それだけのユーザー数と熱意は必要だが。

念のために言っておけば、スペースフレームやアルミモノコックの用途がなくなったわけではない。高まる走行性能に対応しきれなくなっただけで、より下位の(それこそホビーユーザーのための)カテゴリーでは走行性能に見合った安価なフレームとして使用できる。たとえば軽自動車エンジンを用いたかつてのFL550のようなカテゴリーが、より参加型の位置づけで復活するならば、その製造ノウハウは今後も活用できるはずなのだ。

現在のF4は決して好ましい状態ではない、と神谷氏も認める。前述したように、新車を買うことなく低コストでレースができるのがF4の魅力だと言う参加者の気持ちはわかるが、それは本来のF4の存在意義とは乖離した価値であり、新車を売らなければビジネスが成り立たないというコンストラクターとは、現実問題としては利害が対立している。FJ1600とF3の間を埋めるためのカテゴリーとしてF4があるべきだと考える限り、F4は、変わらざるを得ない時代を迎えていた。カーボンモノコック導入によって新車を買わなければレースができなくなる、という事態は、カテゴリーとしてのF4にとっては避けられない時代の流れではなかったか。

この事態は神谷氏も冷静に受け止めていて、性能面、安全面でF4シャシーのカーボン化は、時代の流れであって受け入れざるを得ないと言う。ではなぜ神谷氏はJMIAの標準モノコックを、コスト抑制が可能になるワンメイクで受け入れることが出来なかったのだろう。

■モノコック標準化の意義

JMIAは、モノコックのカーボン化がF4の新車価格を引き上げることはないとしている。確かに、JMIAの示すモノコック単体販売価格は従来のアルミモノコックと同等か、むしろより安価なのだ。ちなみに当初JMIA標準モノコックは加盟コンストラクターに卸値で提供され、それにボディやサスペンションなどの艤装を行って販売すれば、コンストラクターとしての利益を得られるようコスト設定されていた。だが、供給品を売って得る利益率ではおもしろくないのではないか、自分で作りたいモノを作るのがコンストラクターの存在意義なのではないかとの声も聞こえた。

それも理解はできる。だがカーボンモノコックに関しては、もはやコンストラクターの創作意欲だけでは対応できない工業製品になってしまったことは受け入れざるをえないだろう。神谷氏自身、カーボンモノコックを現在のWESTで作ることはできないと認めているし、それはごく限られたコンストラクターが、標準的なモノコックを大量生産してシェアを獲得している海外の事情を見ても明らかだ。むしろ、国内コンストラクターがジュニアフォーミュラクラスで生き残る道があるとすれば、海外コンストラクターに対抗できるだけの品質とコストを持つ「国内標準カーボンモノコック」の普及を急がねばなるまい。そういう時代になってしまったのだとも言えよう。

参加者の間には、JMIAが参入することによって競争が激化し、その結果オプションパーツなどが乱発されて結果的にコストが上がる、ということを心配する声が聞こえた。しかしこれは、あくまでも中古車を使い「そこそこ」のレースをすることにF4の意義を見いだしているユーザーの考え方である。実は現在でも、F4には金をかけようと思えばかけられる状況にある。中古車レースになってしまったため、キャッププライスの判断が曖昧になってしまい、新車時には到底装備できなかったコンポーネント、たとえば高性能ブレーキなどが堂々と使われていたりもするのだ。コンストラクターの新規参入がF4の秩序を崩しコストが上がるという懸念は、あまり論理的ではない。

さらに、カーボンモノコックは高性能かも知れないが補修に金がかかるという指摘もある。しかし、これはかつてスペースフレームがアルミモノコックフレームに進化するとき起きた議論とまったく同じレベルの懸念に過ぎまい。では神谷氏の不満はどこに生じたのか。

■JMIAモノコックは本当に危険なのか?

実は、標準モノコックの安全性が確認できなかったからだと神谷氏は語る。それではこれまでF4を支えてくれたチームやユーザーに安心して供給することが出来ないからだ、と。

確かにソリッドカーボンモノコックはレーシングカーのフレームとして本格的な実用例がない製品で、衝突安全性の評価は現時点では不可能であり、証明はなされていない。それをもって、鈴鹿近辺のチームやF4の参加者の間には、ソリッドカーボンモノコックはインパクトを受けると一気に破壊が起こり、アルミモノコックよりも危険で使い物にはならないというまことしやかな噂話も流れ始めた。

一方、6月末の段階でJMIAは当初の標準モノコックではなく、F4用モノコック(以下新モノコック)を新たに開発して来季のF4へ参戦するつもりだという話が耳に入った。そしてこの計画がWEB上で公表された8月末、「F4騒動」が本格化した。

新モノコックは、もちろんF4のキャッププライスを守ったうえで作られるものだと言うが、JMIAモノコックを出来る限り広いカテゴリーで普及させることによってコストを下げるというJMIA当初の理念からは外れた話ではないか? とわたしは感じた。これに加えて、前述した衝突安全性の問題もあった。というわけで10月末、今度はJMIA会長であり、モノコック開発を行う童夢社長でもある林みのる氏に話を聞きに出かけた。

確かに現時点でJMIA標準モノコックの衝突安全性は証明されていない。だが、JAFのF4モノコックに関する車両規定は、基本的には部材の強度と構造体の形状を定めているだけで、衝突安全性については触れていない。つまりF4モノコックには衝突安全性の基準が元々存在しないのだ。言い換えると、これまで用いられてきたアルミモノコックの衝突安全性も保証されてはいないのである。

とはいえ、「安全性」をセールスポイントとするソリッドカーボン製JMIAモノコックとしては衝突安全性を無視するわけにもいくまい。林氏の話を聞くと、JMIAは、ソリッドカーボンモノコックの安全性について現時点でFIAのF3基準同等の静的荷重テストを進めつつあり、その後動的荷重テスト、いわゆるクラッシュテストを行って、来春には従来のアルミモノコックとの比較データと併せ、ソリッドカーボンモノコックの衝突安全性について公表できるという。ソリッドカーボンモノコックという新しい製法、構造ゆえに物性が異なり、「同じカーボンモノコック」とはいえコンポジット構造を対象としたFIAのF3安全基準がソリッド構造に当てはまるのかどうかも同時に研究中で、危険とささやかれるソリッドカーボンモノコック以前に、従来のアルミ製F4モノコックの衝突安全性についても、今回JMIAが行う研究と比較によって、その実態が初めて明らかになるというのも皮肉な話ではある。

■なぜF4用新モノコックなのか

では、なぜJMIAはF4用に新モノコックを製造しなければならなかったか。モノコック標準化がJMIAの理念ではなかったか、すでに標準としてのJMIAモノコックが存在するのに、カテゴリーに特化したモノコックを別途開発しなければレースができないというのはその理念に反しないのか。

と林氏に問うと、ワンメイクならばより安価なJMIAモノコックを使うことができたが、ワンメイク化が受け入れられず、モノコックの競争を行わなければならなくなったため、JMIAモノコックよりも性能を追求した新モノコックが必要になったからだと答えが返ってきた。新モノコックはJMIAモノコック同様、ソリッドカーボン構造だが形状がより複雑になっており、その分当初のJMIAモノコックよりも高価で利幅が少なくなってしまうが、それでもキャッププライスを満たすF4用モノコックとして妥当な価格になるという。

わたしの周囲では、それだけの技術を持っているならば国内カテゴリーのF4ではなく国際標準カテゴリーのF3へ進出すればよいのではないかとの声があった。だが林氏は、ダラーラと競争するためには、かなりのコストがかかってしまい、コストを低減するという本来の目的から逸脱してしまうからだ、と答えた。つまりソリッドカーボンモノコックの性能価格比を考慮するとF4が妥当なカテゴリーだったというのだ。そう考えれば、JMIAが新開発した新モノコックを持ってF4に参加する理由の説明はつくように思う。

■着地点はあるはず

技術競争をすればコストが上がるのは自明の理である。だからと言って技術競争を完全に排除してしまえば、モーターレーシングは成り立たなくなる。従って技術競争は、できるだけ振れ幅の小さな領域で展開するようコントロールが必要な時代、レーシングカーのコスト低減を追求する限りは、ワンメイクモノコックを前提とせざるを得ない時代になってしまったということなのだろう。

ちなみにJMIAが開発中の新モノコックは、同等他カテゴリーにも流用することを考慮して設計されているという。ソリッドカーボンモノコックには、重量こそ嵩むがカーボンコンポジットモノコックと違って疲労がないというメリットがあり、F4のみならず他カテゴリーへ持ち越すことが容易だ。場合によっては1個のモノコックを買って、そのモノコックと共にステップアップしていけるかもしれない。これこそ「標準」モノコック普及の意義である。

つまり、標準モノコックによるワンメイク化によるコスト低減は実現せずコストは上がってしまったが(それでもF4のキャッププライスは守りつつ)新モノコックが、本来JMIA標準モノコックが担う役割を代わりに果たそうとしているようなのだ。

モノコックを製造する童夢が儲けを独り占めしようとしているという批判を受けて、F4についてモノコックを製造する童夢自身はレースには参戦せず、JMIAに賛同するコンストラクターあるいはチームが新モノコックを用いてそれぞれのマシンを開発、レースに参戦する予定だそうだ。

こうして事情を分析してみると、今回の「F4騒動」には、いくらでも着地点があるように見える。JMIAの理念の中でF4は入り口であり通過点であるのに対し、従来F4に関わってきたコンストラクターにとってはごく身近な世界である。その立ち位置の違いがF4騒動の根底にある。林氏とAS−WEBの論争は、まさにその食い違いを示したと言える。

もし本当に安全性のみが現時点で直接の争点である限り、神谷氏とJMIAの関係修復は可能だろうし、神谷氏抜きでJMIAはその理念を実現することはできまい。JMIAの理念が実現しなければ、日本のレース(工業)界の未来は、ますますメーカーから降ってくる小判だけが食い扶持となり、その小判もこの先どうなることやらというご時世に、業界がどんどん先細りになっていくのではないかと怖い。こうした現状と今後の技術の進展、そして国内レース界の進むべき行方を、カテゴリーを産み育ててきたF4の主たる神谷氏がどのように受け止めるのか。わたしの現在の立場としては、事態を解説することはできても、それ以上のことについては(少なくとも今の段階では)行方を見守るしか術はないというのが正直なところだ。