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「おもしろいクルマに乗ろう」と誘ってくれる人間があって、ぼくはサンフランシスコ近郊のとある街でクラシックカーのディーラーを営むブルースという男を訪ねた。ひとくちにクラシックカーと言っても様々で、彼の取扱品目は、アメリカ車はもちろん、戦前のメルセデスから一連のフェラーリ、そしていくつかのレーシングカーと幅が広い。街角の彼のガレージには、こうしたクルマが40台ほどぎっしりと詰め込まれている。「日本からもお客さんが来るよ」とブルースは、何枚かの名刺を見せてくれたものだった。
もっとも、ぼくのお目当てはそのガレージには置かれてはいなかった。ではどこにあったかというと、道を隔てたところにあるブルースのプライベートガレージである。ブルースはクルマを仕入れては売りさばく一方、自分の好きなクルマは別にコレクションして、コンクールや走行会にエントリーしているのだ。そのうちの1台、ローラT70MkVが問題のブツだった。
ローラT70は、イギリスのローラ社が製作したレース用2座席スポーツカーであるローラGTの発展型として生まれた。このローラGTというクルマは、ル・マン24時間で有名なフォードGT40の原型となったクルマ。つまりローラT70は、フォードGT40のイトコなのだ。軽量アルミモノコックにシボレー327ベースの5.5リッターV型8気筒エンジンを搭載し、ガルウイングドアを持つクローズドボディをかぶせたローラT70MkVはヨーロッパやアメリカを中心に40台あまりが生産販売された。そのうちの数台は日本にも輸入されてレースで活躍した。ぼくは子供の頃に富士スピードウェイでローラが走り回るのを眺めた記憶がある。
ブルースが持っているローラは、走行会のたびにサーキットにでかけているようで、決して磨き上げられているわけではないが、いつでも走り出すことができる現実的なコンディションにあった。しかもナンバーを持っているので合法的に街乗りもできるのだ、とブルースは言う。
「早速、走ってみるかい」とブルースが誘うので、ぼくはFRP製のガルウイングドアを開け、ガスバッグの収められた巨大なサイドシルをまたいでパッセンジャーシートに収まった。といってもシートがあるわけではなく、むき出しのモノコックの上にシートベルトで縛り付けられたのだった。まるで地面に尻餅をついたような状態に落ち着き、周囲を見回すと思いの外、視野が確保できた。ルーフが額のあたりまで垂れ下がっているような圧迫感はあったが、むしろ心地の良く安心できる感覚だった。
ブルースがスイッチを入れると背後でウェーバーのツインチョーク・キャブレターを4連装しおよそ460HPを発揮するというレース仕様のアメリカンV8があっけなく目覚めてドロドロとアイドリングを始めた。「よし、行こう」と彼はペダルを小刻みに踏み込んでクラッチをミートさせた。
半地下のガレージからゆるいスロープを上がると、そのまま街路に出る。地面にはいつくばるような流線型のレーシングカーがドロドロととんでもない音をさせてそのまま一般道路に合流するのだ。歩道を歩く人の腰よりも低い位置に寝そべる形のぼくは、なんだかドギマギした。
ブルースとぼくの乗ったローラは交差点へとさしかかる。バスやトラックが信号待ちをする中、ローラは進む。おもしろかったのは、人々の反応だ。ほんのときたま、こっちを振り返る人もいるにはいるが、ほとんどの通行人はぼくたちのローラに関心を示さない。変わったもの、個性的なもの、少数派、主張の強いものを、異分子とせず大らかに受け止めるアメリカ人気質というやつかい、とぼくは不思議な気持ちがした。
「運転は難しいか」とぼくはブルースに尋ねた。するとブルースは「これくらいのスピードで走るのは結構難しいんだよ」と苦笑した。そして気をまわしたのか、その直後に裏道に入り込むと、いきなりアクセルを踏み込んだ。背後でフォードV8が爆発したみたいな勢いで叫んだ。その途端、とんでもない加速が始まりぼくはのけぞって、後頭部を背中のバルクヘッドにガツンとぶつけてしまった。と同時に両側に建物が立ち並んだ裏道が一挙に狭く見えるようになった。それは、公道でこれまで経験した最大の加速感だった。
子供の頃の憧れだったクルマに乗って、アメリカの片田舎の公道をドライブしながら、ぼくはブルースが、そしてブルースの住むアメリカという国がうらやましくなって仕方がなかった。群に埋没し周囲と同じ物を着て同じ暮らしをすることに慣れきった日本人には、ローラT70MkVのコレクションは、可能ではあってもなかなか似合いはしないだろう。
目立つために人と違ったことをしているうちは、格好はつかない。人と違ったことをした結果として目立ったとき、ぼくたちは初めて格好良い男になれる。ドロドロという音に浸りながら、そんなことをぼくはぼんやりと考え続けたのだった。
解説:
ファイルのタイムスタンプは97年になってはいるが、果たしてどこの雑誌に書いたものか、はたまた発表しなかったものか記憶にない。90年代半ば、アメリカ取材のついでに寄ったサンフランシスコでの話である。
『ローラT70で、ちょっとドライブ』