解説:
1997年6月、JAF出版社「JAFスポーツ」に寄稿。鈴鹿サーキットで開催されたレーシングカートのワールドカップの観戦レポートである。自分でもレーシングカートのレースを長年やってきたので、ふだんの四輪レースとは違った視点で眺めている。あれから5年以上が経ち、このレースのFAクラスで勝った松浦孝亮はその後Fドリームを経てドイツF3選手権へ進出、いまや日本期待の若手選手となっている。また松浦と優勝争いをしたジェームズ・コートニーは、今年のイギリスF3選手権でチャンピオン争いを展開、やはり注目の若手選手に育った。
本文:
いわゆるゴーカートは、遊園地の乗り物の定番である。自動車の好き嫌いにかかわらず、多くの人々がゴーカートに乗り、心をときめかした経験を持っているはずだ。しかし、遊園地の乗り物はあくまでも遊園地の乗り物だった。ところが近年、「カート」はF1グランプリを頂点とするモータースポーツの入り口として大きな意味を持つようになった。
今、あらゆるスポーツで若年化が進んでいる。モータースポーツも例外ではない。たとえば今年ミナルディ・チームから片山右京の同僚としてF1グランプリ・デビューを果たしたヤルノ・トゥルーリは22歳、昨年全日本フォーミュラ・ニッポンで年間チャンピオンとなった勢いに乗ってジョーダンからF1に進出、デビュー3戦目に表彰台に上がってしまったラルフ・シューマッハーにいたってはわずか21歳なのだ。日本でも若年化の傾向が急速に強まっており、19歳の山西康司が今年、国内トップフォーミュラであるF・ニッポンにデビューしている。際限のない若年化に問題を唱える声もあるにはあるが、時代の趨勢は動かしようのない事実である。
こうした選手たちが、これほど若くしてF1にあるいはFニッポンにたどりついた理由のひとつが「カート」にある。彼らは、物心ついたときにカートを与えられ、レースの英才教育を受けてモータースポーツのピラミッドを駆け上ったのだ。カートはF1グランプリを目指す若者、というよりも子供たちにとって必須の入門種目となったのである。
ひとくちにカートといっても、彼らが乗り訓練を受けた際に使ったのは遊園地のゴーカートではなく、競技用に製作されたレーシングカートだ。レーシングカートにも様々な種類があるが、現在国際レースで用いられる最上級クラスであるFSAとなると、ドライバーを含めて140kgという重量の車体に出力約25PSのエンジンを搭載しており、運転の腕に自信のある大人でも容易に乗りこなせるしろものではない。
F1ドライバーを目指す子供たちは、普通免許を取得するはるか以前に競技ライセンスを取り、この化け物のようなカートに乗ってサーキットを駆けめぐりながらライバルと格闘し、テクニックと闘争心を磨くのである。
5月24日と25日、鈴鹿サーキットの南コースに、こうした若い選手たちを世界20か国から集めてワールドカップ・カートレースが開催された。エントリーリストには149人の選手が名を連ねた。最年少は15歳。彼らの目標はF1グランプリである。この大志はけっして夢物語ではない。なにしろトゥルーリなど、わずか2年前にはまさにこのレースを鈴鹿で闘ったカート選手だったのだ。
ワールドカップは前述のFSAクラスと、それよりもわずかに性能が抑えられているFAクラスで争われる。このレベルになると、最高速は容易に130km/hに達し、路面に粘着する本格的な競技用ハイグリップタイヤが用いられるためにコーナリング時には3Gもの横Gがかかる。実際、南コースを走り始めた彼らの姿は、F1をはじめとする様々なモータースポーツを取材した目にも迫力に満ちて映る。
しかも身体がむきだしだからそれぞれの選手の様子が外から見て取れるのが興味深かった。雨の中のコーナリングで前輪のグリップを少しでも稼ごうと、ブレーキングと同時に身体を起こして前に荷重をかける者。ストレートで空気抵抗を減らして少しでも最高速を伸ばそうと身体を前に丸める者。ステアリングさばきも、肘を突き出す者、ステアリングを抱え込む者、上半身をイン側へ倒す者、しっかりと直立したまま横Gに耐える者と、コースのうえには個性が溢れ、モータースポーツのおもしろさを今更ながら見せつけられた思いがした。
24日に行われた予選で注目を集めたのは、日本人選手の松浦孝亮だった。17歳の彼は大雨の中、タイムトライアルで最速タイム、予選ヒートでも2連勝してポールポジションを獲得した。
ちなみにワールドカップの予選は、まず参加者を1クラス3組に分けてタイムトライアルを行ってスタート位置を決めたうえで、2組ずつ総当たりの形で3回の予選ヒートと呼ばれるレースを行い、その結果で決勝のスタート位置を決めるという複雑な方式となっている。日曜日の決勝も、まずプレファイナルというレースが行われ、その結果で最終レースのスタート位置を決め、ようやく決勝レースとなる。こうした仕組みは、レースから徹底的に偶然性を排除し、選手の力量のみで順位を争うことによってスポーツ性を高める工夫である。松浦は前評判通りに速さを見せつけ、この予選を完全に制圧してしまったのだ。
「ヨーロッパで勉強したのが良かった」と予選を終えた松浦は屈託なく笑ったものだった。カートショップの息子として生まれ、すでにレーシングカートをやっていた兄にアドバイスを受けながら14歳からレースを始めた松浦は、今注目の選手である。彼は昨年、今年とヨーロッパにわたって本場のカートレースに参加、武者修行をつんできた。その経験が結果につながったというのだ。
「ぼくは生まれたときから環境が整っていたという意味で運が良かった。さからその分、ハングリーさに欠けるんです。外国人選手たちはハングリーで、どんなクルマも我慢して強引に乗りこなしちゃう。ぼくはワガママだから、その点弱かったんですよ。でもヨーロッパで、そういう強さを学んできたし状況の変化に対応するワザも身につけた。だから今回、ポールポジションを取れたんでしょうね」
モータースポーツは他のスポーツに比較して活動費用がかかる。それはレーシングカートも例外ではない。レーシングカートの有力選手の多くは、カート関係者の家に生まれ、恵まれた環境の中で育っている。
FSAに、レース留学先のイタリアから参戦した下山征人も、やはりカートショップの息子として生まれ、気がついたときにはカートに乗っていた、という。19歳の彼は今イタリアに住んで本場のレースの中で自分のワザを磨いている。彼の目標はもちろんF1グランプリ。F1に直結しているからイタリアに住んでレースをやっている、という。まさに英才教育である。
それでも「今年か来年に勝負かけないと、F1には行けそうもない」と、その置かれた立場も厳しければ自分を見る目も厳しい。
「ヨーロッパの選手たちは、チャンスさえあれば自分はトップになれる、と信じているヤツらばっかり。その中で勝ち抜くのは簡単なことではありません。ここで結果が出せなかったら、レースはきっぱりあきらめなければならないでしょうね」
恵まれた立場ではあるにせよ、ひとたび戦いとなればライバルと格闘し、のし上がらなければならないのだ。考えてみれば、モータースポーツ以外のスポーツ選手も、その多くはきわめて恵まれた立場に生まれ英才教育を受けて育っている。これもまた時代の趨勢というものなのだろう。
FA決勝で、松浦は期待にたがわぬ大活躍を見せた。プレファイナルではスタートで出遅れ、5番手へ落ちたが3位まで挽回してフィニッシュ。決勝レースでは、本来の速さを取り戻して首位に立った。しかしタイヤを傷めつけてペースが上がらなくなり、イギリス人選手ジェームス・コートニーに首位を明け渡す。このときには松浦自身「もう2位でいいかな」と思ったと言う。
しかし彼はあきらめなかった。24周レースの最終ラップ、最終コーナーで彼はチャンスを見つけだしたのだ。コートニーは背後の松浦を意識しすぎて最終コーナーのインを閉めた。ところがその結果、コーナーの立ち上がりでアウトへ膨らんだ。
一方、松浦は最後まであきらめず、コートニーがミスしたら即座に攻め込めるよう、アウト側からコーナーに進入していた。コートニーが膨らんだ瞬間、松浦はラインをクロスさせイン側へ飛び込んだ。そしてコートニーに並びかかりながらフィニッシュライン目指して加速、わずか0秒036差で逆転優勝を飾ったのだ。
FSAではベテラン佐野和志が優勝、下山はねばり強いレースを展開して6位入賞を果たした。こうして今年のワールドカップはまさに日本人選手が制圧した形となった。
「最近、カートと4輪がますます近づいてきた。ここからF1へ行くのも夢ではないんだ」と今回審査委員を努めた鈴木亜久里は言った。彼もまた恵まれた立場でレーシングカートを始め、F1まで上り詰めた男だ。
「昔はカートショップとか関係者の息子とか、そういう立場の子供しか本格的なカートはできなかった。でも最近は、若い子にチャンスを与えて育てるシステムが出来つつあって嬉しい。でも、まだまだお金がかかりすぎて、本当に才能を持っている子供たちがカートに乗れているとは限らない。オレはオレなりに近い将来オーディションをやって、才能があるけど環境に恵まれない子にチャンスを与えてみたい。こうやっていろんな方向から若い才能が育ったら、きっとおもしろいことになるよ」
レーシングカートの世界では、日本人選手が外国人選手をねじ伏せて優勝を飾る時代になったのだ。この若い選手たちが順調に育ったら。彼らよりももっと若い才能が今後発掘されて合理的な教育を受けて育てられたら。鈴鹿の表彰台を見上げながら未来を思うと、不思議な気配に包まれ胸がときめいてならなかった。
『松浦が勝った日』