第1回 『肝炎って、オレが?』
わたしはC型肝炎ウイルスのキャリアなのだそうだ。発覚したのは丸5年前、の1998年1月。わたしが住む逗子にある総合病院、Z病院でのことだ。C型肝炎の感染発覚は、ほとんど偶然だった。病院嫌いのフリーランスライターは、記憶にある限りまともな身体検査を受けたことがないまま暮らしてきた。だが、ほとんど笑い話のようなきっかけがあって(前後の顛末については、また説明することになると思う)健康診断を受けたところ、予想もしなかったC型肝炎ウイルスに感染していることが判明したのである。

実は、そのときのわたしは身体の別の場所に深刻な病気を抱え込んだのではないかと勝手に心配していた。だからこそ受けた検査だった。ところが肝臓を含む他の臓器の機能を示すデータは自分で驚くほど健康で、レントゲンやら胃カメラやらでも怪しい場所は一切見つからなかった。つまりわたしは表面上は健康体だったのだ。もしあのとき健康診断を受けていなかったら、そして医者が気をきかしてC型肝炎のウイルス検査をしていなければ、わたしは自分がC型肝炎患者だと気付くことなく、その可能性すら検討しないまま、その後ものんきに暮らし続けたはずだ。医者は検査結果についてこう言った。「ほぼ健康体」。しかし、こう付け加えたのだった。「ただね、厄介なものが見つかりました」

C型肝炎は、なんだかつかみどころのない病気だ。「オマエはC型肝炎だ」と宣告された時点で、わたしはこの病気については名前以外の何も知らず、医者には大まかな説明を受けたものの上の空で、「なに、それ」と他人事のように首をひねりつつ帰宅した。だがその直後に友人と話したところ「え、それ、オマエ、大変な病気だよ」と驚く。それで初めてこっちも驚いて「え、なになに? なんなの?」とようやく慌て始めた。

C型肝炎は、今や国民病として社会問題化しているけれども、まだ詳しくをご存じない方も少なくあるまい。というわけであっさり要約すると、以下のようになる。

1)C型肝炎そのものは、大した症状を引き起こさない。
2)ただしC型肝炎を完治させるのは現在の医学では非常に難しい。
3)C型肝炎ウイルスは、感染後何十年もかけて少しずつ肝臓を壊す。
4)その結果、感染後何十年も経ってから、何割かの患者に肝硬変が起きる。
5)肝硬変を起こした患者のうち、さらに何割かは肝臓ガンになる。

というわけで、感染しながら何十年も気付かないまま生活し、気が付いたときには肝硬変になり、肝臓ガンになるという、かなりタチの悪い病気なのだ。このタチの悪さが、C型肝炎という病気そのものの研究を遅れさせた。

肝炎としてはA型、B型が有名だけれども、研究者は「なんだかこれ以外にもあるような気がするな〜」とうすうす気付いていて、近年では「非A型B型肝炎」と、その他大勢の扱いで認識されるようになっていた。それがやはりまったく別のウイルスが原因の病気であり「C型肝炎」と正式に分類されたのは1989年のこと。つい先日の話である。

そこから本格的な研究が始まったわけだから、根本的な治療方法がまだ見つかっていないのも仕方のない話なのかもしれない。だが、患者も医者もその存在を知らないまま、C型肝炎は水面下で蔓延し、今や日本には100万人から200万人の患者がいると推定されている。問題はそのうちのかなりの人数が、自分がC型肝炎患者であることを知らないままだということだ。ああ、恐ろしい。

C型肝炎ウイルスは血液の直接接触以外で感染することはない。しかも感染力は非常に低いのだという。わたしの主治医は、普通の生活の中で家族に感染させることはまずありえない、と言った。ではなぜ日本国民の間にこれほど蔓延し、こともあろうにこのわたしの血液中にたどりついてしまったのか。

原因は定かではないが、おそらく病弱だった子供の頃、つまりは40年ほど昔に受けた大量の筋肉注射や静脈注射が原因だったのではないかと思う。当時、注射針や注射器の使い回しは当たり前だった。まあ、そういう意味では医原病だ。その後、注射針と注射器は使い捨てとなったため、現在ではC型肝炎の新規感染は起きていないはずと聞く。要するに、C型肝炎は中高年病でもあるのだ。

通常、C型肝炎ウイルス感染直後に急性肝炎が起き、倦怠感や発熱等の症状が現れるらしいが、軽微なため気づかず放置されることが多い。この段階で治療をすると治癒率も高いらしいけれども、多くの感染者は気が付かないまま急性肝炎を見逃す。そして(人にもよるらしいが)急性肝炎のただでさえ軽微な症状は自然に治まってしまう。わたしもこのクチだったのだろう。そもそも、子供の頃のわたしは喘息持ちで、いつもひっくりかえっていたから、「どっか調子悪い」程度の異変などわたしも親も、気にもとめなかったに違いない。
(続く)